昭和50年07月24日 朝の御理解



 御理解 第90節
 「上から下へ水を流すのはみやすいが、下から上へ流すのはむつかしい。道を開くというても、匹夫の俗人から開くのじゃから、ものがむつかしゅうて暇がいる。神のおかげで開かせてもらうのぞ。たとえ一時はむつかしいことがあっても、辛抱してゆくうちには徳が受けられる。」

 信心辛抱と言う事が言われます。辛抱してゆくうちには徳が受けられると言う事は、勿論ただ辛抱と言う事ではなくて、信心辛抱させて頂くと言う事です。ね。信心辛抱させて頂くうちに、徳が受けられる。それこそ夢にも思わないような道が開けてくる。私のこの度は私の母のお国替えに、色々と改めて分からして頂くのですけどれも、この御理解を頂いてから思いますのは、ほんとに信心辛抱し抜いてきたと思います。十九才の時に大坪の家に嫁に来ております。
 父が二十五母が十九まあ世間一般では十九というと女の大厄と言われ、男の二十五と言えばそれこそ道連れにでもなるなと言われるように、まあ悪い年回りだと言われておる。その大厄同士の者が結婚して、まあそこはやっぱ世間で言う様に、ね、厄年の者同士が一緒になると言う事は、こんなにも難儀が続くもんだろうかと、これは経済の問題だけではありません。人間かんけいのもう問題。もうほんとに矢張り一時はそう思うた時代もあったかもしれません。
 まっ母が六十才までぐらいは、矢張りそれこそ信心辛抱しなければおられない事の、ま、連続であったように思います。ね。父が九十三才母が八十七才、ね、それこそ長生きのおかげを頂いて、まあ夫婦とも晩年の頃晩年の頃と言うても、椛目で人が助かるようになってこの方というものは、それこそあれが椛目の金光様の爺っちゃま婆しゃまこそ、ほんとに極楽じゃろとみんなが言うほどしにおかげを頂いておるし、自分たち自身もほんとに世の中の幸せを独り占めした様な思いで日々暮らしたと思うのです。
 ですからやっぱり信心辛抱し抜く所にです。普通例えば年回りがいいの悪いのと言った様な事でも、馬鹿にはならんですね。やっぱりひとつの何と申しますかね、学問ひとつの学問易学なら易学という学問から出て来た年回りです。計算で出てきた人間の運命を、まっ占うわけです。ですからほんとのに馬鹿にはならんのですけれども、信心を頂いておれば有り難い。しかもなら十九から六十までにいたしましても、四十年間という間はいわば難儀苦労の連続であったと言う事です。
 ですから信心がなかったら、やっぱり結婚する時には年回りをよく調べにゃ、と言った様な事になっとったかもしれんのですけれども、おかげで信心を頂いておりますから、そう言う事は問題にしてない。問題にしていないけれども、もし世間の者がそれを聞いたら、やっぱり年回りが悪かったから、あすこはあんなに難儀をしなさる、と言う事になっとったかも知れません。
 けれどもその、辛抱をしてきたその四十年間という間の長い辛抱の内容が、ある意味で素晴らしかったと思うんです。ね。長生きのおかげを頂いただけではなくて、それこそ百味の御食(おんじき)とでも申しましょうか、ね。あなた私ゃ十八あなたは二十歳、そんな文句がありましたね。いつも時候は春のようであって、使うて減らぬ金百両そしていつまでも命がありますように。
 という、まっよかとこよか事づくめのごとです。ね。夫婦がいつまでも仲ようすると言う事が、それこそ結婚当時のような、いうならばあなたが二十歳で私が十八。ね、いつもそれこそ春時候は春のような、それこそどれだけ使うてもどれだけ使うても金百両と言われるような、しかもです。ね、いつまでも命がありますようにという、そういう欲張ったようでもありますけれども、信心の徳というものはそういうおかげが受けられると言う事です。まだ父がまだ元気でおりました。
 去年去年十二月に亡くなりましたから、その半年ぐらい前ではなかったでしょうか。妹が母に髪を短く断髪にして切ったらよかろうから、切ってやろ、ち。私ども家内がそう言うたそうです。そしたら生返事だったそうです。したら椛目から妹が参りましたら、五十枝さんがあげん言うてくれるけれども、爺っちゃんがござるまではまだ髪は切られん、と。もう二人が話をしとりますと、まるっきり漫才のようでした。
 片一方は耳が遠かもんですからね。それはほんとに側におってから心が暖まるというか、面白いごとあった。それこそあなたが二十歳で自分な十八と言う様な気分がね、いつもありましたように思うです。皆さんがご承知の通りです。それこそ使うて減らぬ金百両と言う事は、どれだけ使うてもどれだけ使うても金に不自由することがないと言う事です。食べ物というたら百味の御食という、申しますがです。
 もうほんとに甘な辛な、母の部屋に行きますと、私がまいりますとすぐ、いろんなお菓子を、私だけじゃない誰が行っても出しました。お酒の好きな人が行くと、例えば久富先生なんかがちょいちょい、やっぱあれば楽しみで行きござったじゃなかじゃろうかと思うぐらいに、ちゃんとその辛いものが用意してありますからね。ちょいと一杯お茶代わりに出す、出さなきゃ気持ちの悪い人です。でした母という人は。
 それこそ椛目の場合もそうでしたが、母達がおります部屋はもう、夏は涼しくて冬は暖かいという部屋でした。もう冬は温室のごとございました。椛目のあの新たに建て増しをしました母達がおります部屋は。夏は又涼しい事この上ない涼しい部屋でした。その頃はまあだ冷房なんかございませんでしたけれども。こちらにまいりましてからは、勿論暖冷房がございますから、もういつもそれこそ春の様な感じでしたですね。
 もう周囲にはその時季時季折々の花が、何かこう咲いておりました。昨日もそんな話をしてましたが、もうとにかく花の心得はございませんでしたけれども、もういつも花を自分で沢山こう部屋に挿しておりました。ほんとに子供だけではない、孫達からも大事にされてから、おかげを頂きましたが。御霊様が例えば今度の御霊様の贈り名から言うてもほんとに素晴らしい母にふさわしい贈り名だなと思わしてもらいました。徳に恵まれるという、まあ、最高の字を使ってありました。
 確かに徳に恵まれとった。それも初めからそうではなかったと言う事。六十年間というものは、それこそ辛抱のし抜いてきたと言う事。しかもただ神様ひとつにおすがりして。でなからなければとても辛抱も出来なかっただろうと思う事。ね。まあ普通で言う、若い時の苦労は買うてでもせろ、と言うがこれはほんとに信心を頂いておる者に対する、私は言葉だと思うですね。
 もうとにかく不平不足を言う事がございませんでしたからね。何もかにもが有り難い有り難いずくめでした。それこそ死んでも命が在ります様にと言う事は、お徳を受けて亡くなった者の事を言うのじゃないでしょうかね。九十までも生きらして頂くというだけではなくて、その命その魂というものがです。永劫喜びの御霊安心の御霊として、おかげが頂けていけれると言う事だと思うです。いつまでも命がある。いや合楽教会が続く限り、ある限り私の両親の御霊というものはです。ね、
 まっいうならばここで言う合楽の初代は私ですけれども、その初代大坪総一郎を育てた方は、大坪徳蔵であり大坪ツル代という方だったと言う事になるのですから、もう合楽のある限り魂の命をです、みんながそこに感じなさることであろうと思うです。ですから、ね、お前が十八で私が二十歳、いつも時候は春のように、使うて減らぬ金百両、死んでも命があるようにと言う様な、そんな馬鹿げたそんな夢の様な事があるものかと言うのですけれども、信心によって徳を受けていけば、それが出来ると言う事。
 今日のご理解を頂きますとです。それこそ高い所から低い所へ水を流すのならみやすいけれども、生身を持っとる凡夫の事でありますから、それこそ下から上へ水を流すように難しい事であったが、ね。やはり厄年というものはやっぱあるもんだ。やっぱりこんなに苦労が続くもんだと、信心がなかったら思ったかもしれませんげれども、その四十年間の信心辛抱がいうなら実った。ね。ただ若い時にたいへん苦労をして、ね、そして例えば子供達を立派に育てたと。
 そういう信心を抜きにしてという人は、もう年をとっていけば年をとってくるほど根性が悪くなります。もうなにか不平不足が出とる。ね。私どもが若い時にはごうじゃったという。これではねやっぱり信心辛抱でなからなければいけない事が分かります。しかも四十年間辛抱し抜いておると言う事です。この世にはいなうらば魂を清めに来ておる所である。この世例えば長生きをした所で、長寿をなにかまあそれこそ、まれに見る長寿というても、まっ百歳ぐらいがせいのやまである。
 いうなら百年間である。けれども次の世あの世はもう永世である。ね、いうならば四十年間という間、ただ本心の玉を清める事のためにその苦労はあったと言う事である。そしてこの喜びをこの信心の徳を、あの世に持っていけれる、これをあのままあちらに持っていけれる、と言う印をですなら晩年の頃の生き方、例えば私の母なら母の晩年の頃にそれを見る事が出来るです。日々が極楽である。日々が心が喜びである。それをそのままあの世に持って行けると言う所に素晴らしい。
 一時は中々難しい事が、であるけれども、辛抱していくうちに徳が受けられると言う事をです思います。これほど信心するのに、どうしてこんなに難儀が続くだろうかと言うとったら、今日の合楽もございませんでしたでしょう。やはり信心辛抱の徳を受け、しかも恵まれておったというふうに思います。先日ここで信心実習がありました時に、沖先生の、お話の中にもありましたように、一生懸命まあ若いながらも信心させてもらって、国家試験を受けられた。所が受験票を忘れておった。
 もういうならば目も当てられない事であった。それこそ神も仏もあるもんか、と普通なら言うところであろうけれども、そこが今日の沖先生がおかげを受けておられる元であった。それから御本部参拝をお礼参拝をしておられる。しかも六里の道を夜中に歩いて、朝のお出ましを拝もうとなさっておられる。お話はそれまでであった。後から質疑応答の時に、先生その受験票をなくされ、持って行かれなかった、忘れなさったそして御本部にお礼参拝をなさった。
 途中の事も色々と聞きたいですけれども、その結果はどげんなったですか、という質問者がありました。それに答えて言わなきゃいけませんかち言われました。ね。もうどうでもあのあなた方が言わにゃいかんと言うなら申しましょうけれども、と言うて言われたことは、どう言う事かとやっとかっと言うと、あの、国家試験の一番初めの年であった。普通の成績を採ると言う事になった。おかげで平均点数よりもちょっと上だったから、無事に合格したというおかげ。
 大概のもんなら忘れとったけれども信心しとったおかげで、通らんはずどころか通ったと、こう言うでしょう。所が信心のおかげというものは、おかげを受けたと言う事がおかげではない、と。信心のおかげというのは、その苦労しておったその途中、道中が大事なんだと言う事なんですと。まさしくそうです。はあ若い時から苦労しなさったから、ほんとに極楽のごたるおかげを晩年は頂かっしゃったと、言う事もそら素晴らしい事です。けれどもなら母の場合四十年間の苦労をしてきたその過程がです。
 もういつの場合でも信心で、それが辛抱し抜かれてきたという、その過程が素晴らしいのです。ね。私ども金光様の御信心をさして頂く者は、それこそ先生のお話じゃないけれども、ね、その素晴らしい過程を大事にしなければいけません。ね。昨日久富勇さんが、ここへお届けをされました。ああして体が不自由である。もう勇さんの頂いておられるあの病気というものは、まっ現代の医学ではもう治療のしようがないと言われておる。ね。毎朝毎朝それこそああして。
 椅子掛かりで御祈念をしなきゃならない、たまにはそれが痛む。大変な難儀な中におかげを頂いとる。ところが最近なこのお広前をこう歩かれるとがすかぁつかぁつ歩かれよるですもん。えらいこの頃はあんた歩きよるが、そのようなったのち。先生この頃はもう毎朝目が覚めるとが楽しみと言うわけ。目を覚ましていわば目が、起きるたんべんに足の腫れが減っておる。痛みが減っておる。体が何とはなしに楽なんだ。毎朝目を覚ます目が覚めるのが楽しい、と。
 だからこういうおかげを頂いておるからです。これはほんとにこのおかげを神様に篤うお礼を申し上げなければ、でけんと、心に思いながら掛かりながらその日もです。ね、どうぞお礼をさせて頂かにゃと、その事に対してわざわざ特別のお礼をさして頂かなきゃと思うておりましたけれども、さそこが凡夫です。そげん思い思い帰って自動車だけは運転が出来なさいますからね、その運転してちょっと下がって行きよる間に、他の方の車にぶっつけました。その駐車場で。
 そん時にもうそれこそ胸に打たれる思いがしたと言って、昨日お届けしておられます。人間がもう汚のうございますもんじゃから、ほんとにこげな、毎朝この頃目が覚めるとが楽しみというぐらいなおかげを頂いておるのだから、ほんとにここにその事に対するお礼のお届けさして貰わんならんと思い。思い思いそれがでけずに、返ってガシャッといく時にはもうすでに相手の車を傷つけておる。ね、
 とてもお礼をさせて頂こうと思うておったぐらいな金額じゃとてもでけまいと、思われる様な事なんです。ね、まあ勇さんがこれから、まあおかげを受けられる。だから受ける受けないは別としてです。その信心を続けておる過程に、あたしの汚い心がこんなにも綺麗になった、綺麗になっていくその過程が素晴らしいんです。魂が段々清まれて清まっていく、それが素晴らしい。
 神様は厳しい。折角これだけの修行をさせて頂いて、是だけのおかげを頂いておるのだから、その間にこれも分かったここも清めた、ここも改まったと言う事がなからなければ、値打ちはないじゃないかと、神様が厳しく指摘されたと言う様に、昨日勇さんのお届けを聞いて思いました。ね。その過程なんです。素晴らしい事は。はあちょいともう奇跡的なこげなおかげを頂いた。
 お願いしたらこうじゃった。皆んながそこん所だけを言いますけども、沖先生じゃないけども、そこん所をあたしが話す事は気安いけれども、みんなもそこん所だけは拍手喝采するけれども、ね、結局その過程のそこん所を忘れてしもうて、今日沖先生の話を聞いたら、ね、いうなら受験票を忘れなさったげなけれども、こげなおかげを頂かしゃったげな、というだけしか言わんちゅうわけです。そして自分がその時の、いうなら道すがらその過程に自分が心で思うてきた、行うてきた事。
 その所を聞いてもろうても、無駄になるからおかげの事は話さなかったという意味の事を言われました。今後の私合楽の信心は、そういう信心になっていかなきゃいけないと思うんです。勇さんの場合でも、勇さんに神様はそこを指摘しておられると思うです。ね。あれがほかの者だったらそういうお気付も頂かなかったでしょう、勇さんだからこそお気付を頂いた長年の間、ね。難儀苦労してその難儀苦労してただ一筋に神様に打ち向かうておるという拝みよる。
 参りよるというだけじゃ値打ちはなか。その間にはこげなこともあった、あんな事もあったがそこをです。こう私は信心で乗り切ったというその過程が素晴らしい。ね。これはもう私の性格と思いよったけども、あの苦労の間に私の性格がこうも有り難く変わったと。私はだいたい人間はきぃたない人間ですけれども。神様からこういうお気付を頂いて、あれを境に私の心が幾分でも美しうなってきたと言う様な、その過程が素晴らしい。ね。いわゆる凡夫の事であるからです。
 それこそ下から上へ水を流すように難しいけれども、そこを辛抱していっておるうちにと言う事は、信心辛抱しておるうちに、いうならばです。信心とは愈々改まる事、信心とは愈々清まる事、磨く事と言う事をです、その過程において磨いたり改まったりしてきた時にです。ね。円満な徳も受けられるしその辛抱こそ、身に徳を受ける修行じゃと最後に結んでおられます。その身に徳を受けるまでのその過程が素晴らしいのです。身に徳を受けなさったから、百味の御食のおかげを頂いてござった。
 四季折々の花咲きみだれる中に住もうてあった、暑い寒いはないいつも春のような生活をしておられた。いつも夫婦仲良うして、なかなか九十までも長生きしてござった、と言う事よりもその母の場合なんです。その四十年間の信心辛抱し抜いてきたその過程が誰も真似の出来ないほどしに素晴らしかったと言う事になるのですよね。身に徳を受けると言う事が、それこそ夢にも思わなかったような、なし得られるはずの事のない事がなし得られる、成し遂げられるおかげにつながってくるのですからね。
   どうぞ。